國分功一郎著「暇と退屈の倫理学」読んだ感想。仕事が休みの日、何をすればいいかわからない!?そんな方に

読書感想文

最近読んだ國分功一郎著の「暇と退屈の倫理学」が大変面白かった。

で、私なりにざっくりと解説と感想を書いてみました。

2015年に出版された本ですが、今読んでも古く感じたりはしないです。

440ページもあり、読み終わるまで時間はかかるかもしれませんが、

内容は面白く、読みやすいです。章ごとにまとめや要約があるので理解もしやすいです。

こんな人におすすめ!?

休みの日に

  • 何していいかわからない
  • 何かしていないと気がすまない
  • 予定を入れてみてもなんだか満たされず、退屈してしまう

そんな事を感じていまう方に読んでもらいたいです。

(私はそんな悩みがあり読んでみることに・・)

そもそも休みの日って何すればいい?

私自身、仕事が休みの日に何をしようかと悩んだしまうことが多々あります。

だからこうしてブログを書いていることもあるのですが、

空いた時間を必死に埋めようと、あれやこれやと予定入れて、スケジュールを組んでいく。

でも、予定をこなしても、なんだか満たされない。

「結局、何だったんだろう。」と一日が終わってしまう。

あなたは、そんな経験をしたことはないですか。

この「暇と退屈の倫理学」は、

そんな悩みを様々な学者の文献をもとに考察し、答えを導き出してくれます。

私自身、「暇と退屈の倫理学」を読んで、日々の時間の過ごし方を考えるきっかけになりました。

もっと言えば、

人間とはどういう生き物で、人生とは何か、という問いの答えや、

より良く生きるためのヒントを示してくれているように思います。

現代人は退屈しやすい生き物!?

特に現代を生きる人間は、動物と比較すると退屈しやすいということが言えます。

「暇と退屈の倫理学」には、さまざま文献を参照しながら、話が進められていきます。

そのなかで、生物学者ユクスキュルの話が出てきて「環世界」という概念が出てきます。

動物が持つ世界観と、人間が持つ世界感の違いから、

人間は退屈しやすいという結論が導き出されます。

確かに、動物は常に何か獲物を探していたり、

あるいは敵に襲われないように警戒していたりして退屈している様子はない。

動物は生命を維持していくために、あれやこれやとせわしなくしている。

暇そうにして休んでいることはあるかもしれないけれど、

予定を立てて、時間を埋めようと必死になることは無いでしょう。

それにくれべて人間は生命を維持していく以上に、時間を使っている。

あるいは時間を使わずにはいられない。

時間の感覚すら動物とは違うのかもしれないが、

人間の持つ世界観は退屈を招きやすいと言える。

時間を埋めようとするのは、労働の奴隷になっている?

「暇と退屈の倫理学」の中で、休日や余暇についても様々な考察がされています。

「フォーディズム的労務管理」という言葉が出てきます。

これはアメリカの自動車会社フォードの労働者の管理の仕方を参考にしています。

休日や余暇があるのは、高い生産性を維持するためであり、

労働者を管理する上で、休日や余暇も把握する必要がある。

そもそも休日は、労働のためにあると言えてしまう。

だから、休みの日でも何かしないといけないという強迫観念が出てきてしまう。

休日になっても、労働モードから切り替えができてないのでは・・・

無理に予定を入れてみても退屈を退屈をしてしまうのは労働のせいかもしれない。

まずは退屈を自覚することから始まる!

「暇と退屈の倫理学」の中には、ハイデッガーの話が出てきます。

その中で、退屈には第一形態と第二形態と第三形態があると説明されています。

まぁ、第一形態を第三形態は、ほとんど一緒なので、二種類の退屈に対する対処法が書かれています。

第二形態では、

簡単に言ってしまえば、退屈を自覚しながら、事をほどよく楽しめということです。

それが、人間として一番「均衡と安定」があると書かれています。

第一形態と第三形態では、「動物的になれ」ということです。

何かに熱中して、没頭して、退屈を感じさせないような事を見つける。

常に好奇心を絶やさず、楽しむことだと思います。

ただ、いずれは退屈するときが来るのは確かです。

そのためにも、「暇と退屈の倫理学」には、楽しむための訓練が必要だと書かれています。

楽しむための訓練、それは学ぶことです。

私は、この本を読んだ時に思い出した言葉は、

「学問を最高の娯楽」という言葉です。(間違っていたらごめんなさい)

別に学校に行って学問をするということではなく、

新しい知識を得たり、新しい経験をしていくことで、

楽しみを増やしていく事が大切なのではないでしょうか。

退屈の耐性には、個人差がある。

ここまで読まれた方は、日々、退屈していない人をいないと思います。

退屈じゃないとこんな記事読まないのではないでしょうか。

そもそも、退屈の感じやすさには個人差があります。

「暇と退屈の倫理学」の中で、サリエンシーという言葉を使って説明していますが、

簡単に言うと

幼い時から退屈に慣らされている人は、退屈を苦痛に感じないし、

いつも忙しく、予定を詰め込まれて育ってきた人は、暇で退屈な時間というのは苦痛に感じてしまう。

そういう事かと思います。

自助グループについての話もあり、

最終的には退屈な悩みを他者と共有することで改善していく方法もあると書かれています。

感想

著者は、「暇と退屈の倫理学」を書くに当たって、

相当、退屈について悩まされていたのだと思います。

何をしても退屈で、忙しくても退屈で、暇でも退屈であったのだと思います。

恐らくそれは、孤独であり、何か満たされない、

心にぽっかり穴が空いたような感覚だったのではないでしょうか。

そんな中で、過去の哲学者や様々な分野の学者の文献をもとに、

自分なりに考え抜いたのが「暇と退屈の倫理学」なのだと感じます。

この本を読むと、孤独には強くなります。そう思うし、そう感じてます。

また、退屈であり孤独な状態から脱する方法ついても示されていて、読んで損はないです。

また、ここでは紹介できませんでしたが、

「消費と浪費」や「映画・ファイトクラブ」の話はおもしろく、それ以外にもたくさんの教養がつまっていて勉強になりました。

Bitly

コメント